【茨城】水戸黄門が晩年を過ごした屋敷、西山荘

人生楽ありゃ苦もあるさ、でおなじみの水戸黄門こと徳川光圀。
徳川家康の孫にして徳川御三家のひとつ水戸藩の第二代藩主です。
テレビでは世直しの旅に出る人のよいお爺さんといった感じでしたが、実際には学問を好み、生涯をかけて大日本史という歴史書の編纂事業を行った偉人なのです。
そんな光圀が晩年を過ごした屋敷が茨城県常陸太田市にあります。

概要

名称

西山荘

茨城県、徳川光圀が晩年を過ごした屋敷・西山荘

所在地

〒313-0007 茨城県常陸太田市新宿町590

アクセス

【電車】
JR常磐線
特急で上野~水戸へ。
水戸で水郡線に乗り換え常陸太田駅下車。
常陸太田駅からタクシーで5分。

【車】
常磐自動車道で東京(箱崎)~日立南太田インター約90分
日立南太田インターより、西山御殿約30分

電車は本数が少ないため車での来訪がおすすめです。

こんな人にオススメ

まず水戸黄門ファンの方にはぜひおすすめしたいです。
黄門様が過ごした屋敷だけでなく、助さんのモデルとなった佐々宗淳の屋敷跡もあり、水戸黄門の世界観を楽しむことが出来ます。

西山荘の敷地内は、とてもキレイに整備されていてお散歩にもぴったり。
思索にふけりながらのんびり散策したい方におすすめ。
一人もしくは少人数で静かに楽しむのが良いと思います。

滞在時間

意外と敷地内は広く、ゆっくり歩いて見て周るだけで1時間くらいは楽しめます。
いろいろな資料や説明看板が設置されているので、丁寧に回れば2~3時間は過ぎてしまいます。

費用

大人 1,000円
子供  600円

アピールポイント

山に囲まれた敷地内にひっそりと佇む屋敷は、まるで時間の流れが止まってしまったかのよう。
今にもご隠居様がひょっこり出てきそうな、自然な雰囲気があります。

庭も大変美しく、梅や新緑、紅葉の時期はとてもキレイに庭園を彩ります。
最近ではミュージアムも新設され、黄門様の実像に触れることが出来ます。

水戸黄門が愛した屋敷と庭

水戸黄門といえば知らない人はいないと思いますが、架空の人物だと思っている人もいるのではないでしょうか。
水戸黄門こと徳川光圀は、徳川家康の孫として水戸藩第二代目藩主をつとめた実在の人物です。

最近では冲方丁さんの光圀伝でも取り上げられ、大いに話題になりました。
かくいう私も光圀伝を読み、光圀が実際に晩年を過ごしたとされる西山荘に足を運んだのでした。

茨城県、西山荘の庭園入口

西山荘は屋敷や庭、周辺の林で構成されています。
立派な檪門や熊野杉の林、観月山に白蓮池など見どころが沢山あります。

敷地内はとても静かで落ち着いた空気に満ちています。
黄門様がこの場所で実際に暮らしていたのかと思うと、不思議な気分になります。

茨城県、西山荘の庭園

こちらは岩を積み上げて造られた滝。
静かに流れ落ちていく水を眺めていると心が落ち着きます。

茨城県、西山荘の岩を積み上げた滝

階段を登っていくと、小高く盛り上がった山の頂上に出ます。
観月山といい、秋になるとこの山の上から月を眺め詩歌を詠み、部下の労をねぎらったと言われています。

茨城県、西山荘の山の頂上へ向かう階段

部下の中には助さん、格さんもいたのでしょうか。
助さん、格さんこと佐々宗淳(さっさむねきよ)安積澹泊(あさかたんぱく)の両人も実在の人物です。

テレビドラマだと用心棒のような役割ですが、実際には学者として光圀の大日本史編纂事業に携わっていたとされています。
助さんは光圀と同じく西山荘内に屋敷を構えていました。
助さんの屋敷は残っていませんが、跡地をみることは出来ます。

屋敷は実に質素な造りになっています。
華美を嫌い、質素倹約に努めた光圀の考えがよく表れています。

質素倹約を良しとするのは徳川家の家風だそうで、徳川家康は大の吝嗇家、つまりケチだったと言われています。
そんな徳川家の家風がよく表れています。

案内板には「御学問所・御寝室」とあります。
ここで大日本史編纂の作業や、様々な思索に耽っていたのでしょうか。

茨城県、西山荘にある御学問所・御寝室

その他にも、助さんこと佐々宗淳屋敷跡や守護宅などを見て周りました。
2時間ほどの滞在でしたが非常に濃い時間を過ごすことが出来ました。

まとめ

水戸黄門こと徳川光圀が晩年を過ごした西山荘。
今からおよそ300年前の日本を生きた偉人の足跡を見ることが出来ます。
水戸黄門の実際の人生に興味のある方はぜひ訪れてみてください!

※この記事は2017年10月に行った際の体験談です。(30代前半/男性)